カテゴライズする言葉

ボーダレス、ダイバーシティ(多様性)は重要なテーマになっている。そんな中、私たちは、何かを「言葉」「単語」にすることで、ボーダーを作り壁を創っている。

今回は自分なりの答えさえないことを書いてみようと思う。

そもそも物事は本来、連続していてグラデーションでできていることが多い。
名前をつけることで、その物や事は、それに特定されてしまう。

例えば、川と海、東京と神奈川、カナダとアメリカ、本来連続しているが、人が線を引いて名前をつけた。地球と宇宙の間にまで線を引き、名前をつけた。そして名前をつけるために細かく定義付けをする。つまり名前をつけることで、そこに境界線ができた。

そもそも言葉というのは伝える手段であり、それが何なのか定義付けをし、カテゴライズするためのものなのかも知れない。

vogueの記事で、脳科学者の中野信子さんが下記のような対談をしていた。

“ジェンダー”の枠から飛び出して自由になる、頭と心のつくり方。
ジェンダーが多様化する今、男女という二元的な観念に縛られず、自由に生きていけたら理想的だ。でも、そう簡単に私たちの頭と心は切り替えられない。男女の脳の差による思考や行動の違いはあるのか、また“女性ならば、男性ならば”という刷り込みや思い込みから解放される方法は存在するのかどうかを探る。というもの。
https://www.vogue.co.jp/lifestyle/article/the-heart-knows-gender-free

この対談では、女性と男性の脳は平均値を取れば確かに違いがある。
しかし、実際には個人差がある。女性でも男性的な脳の人もいる。これはグラデーションに存在する。例えば、平均身長は男女の違いがあるが、男性でも160cmの人もいれば、女性でも180cmという人もいる。

「男性」「女性」と言葉にした瞬間に、そこにボーダーができ、カテゴライズされる。

ボーダレスの時代へ、、、
私たちが、人として言葉を生み出した瞬間に、それが何なのかを決めてしまい、カテゴライズしてしまう。本来、地球と宇宙の間はボーダレスなのに、どちらなのかを定義付けし、カテゴライズしてしまうわけで、どうやってボーダレスにしていくのかは非常に難しいテーマだ。

かっこいいテーマやタイトル、ストーリーに翻弄されてしまう現代に、あえてそれを読まないで、見て触れて感じることに正直に過ごしてみたい。人は、言葉のやりとりや物事を正確に伝えるために共通の定義は必要で、「言語化」も必要だ。しかし、カテゴライズする「言語、言葉」に絶大な指示をするのをやめていくことも大切だと思う。

そして、ボーダレスなありのままを伝えるためには、五感で共有することやアートが助けになるのかも知れない。

砂浜と海の間のグラデーションとボーダー
出典:unsplash

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