サラリーマンの哀愁

時代が変わる。大きく変わっていく音が聞こえる。日本企業はこの時代の変化についていけるのだろうか?本当に私たち日本人の生活は変わるのだろうか。

コロナ禍という大きなパンデミックがあり、国の政治性、社会や国民性の違いがクローズアップされたと思う。その中で、日本とアメリカは対照的だったように思う。会社(社会)という点に絞ってみると、会社によっては経営が厳しくなり、失業者が大量に出た。そこで、国は失業保険を手厚くした。経営者を守り、人々が失業しても生活は守った。

大きく変わる時代の中、必要な事業と不要となっていく事業、小さくなっていく事業のローテーションが起こってくると思う。人も新しい時代にあわせ、柔軟にローテションしていくのではないか。と感じた。

一方、日本は、企業が社員や派遣社員をできる限り解雇しないよう、給料の8割を補償するための補助をした。そのおかげで、生活が守られた人は多くいただろう。しかし、新たな時代にローテートすべき事業までも守ったのかも知れない。

どうすればよかったのかは後になってみないとわからない。
しかし、ここまで大きく変わるときに、人や人のマインドをローテーションするチャンスを逃した可能性もあるのではいか。

個人的には、この解決策は「学び」だと考える。学ぶことに投資する。ということ。
このように時代が大きく変わる時は必要な知識や能力も変わる。例えば、IT、システム、プログラミングの人材は不足すると言われている。子供たちが学びは当然だが、この機会に社会経験をした大人にもオンラインでも多くを学ぶことに補助をしっかりとし、新たな時代に重要となる事業を担っていく人材をつくることが大切ではないかと思う。

主題とは少し離れたところから書いてきたが、
日本のサラリーマンのマインドは、国や会社がつくってしまったように思う時がある。そしてその組織が、日本が新たな社会にローテーションする上での重くて険しすぎる山になっていると感じる。

サラリーマンが、終身雇用が当たり前の社会の中で、「稼ぐ力」を持つためには、従順で新たなことをやらないイエッサーが好まれてきた。
つまり、新たなことをやらないイエッサーが決定権を持ち何も決めないまま、社会を動かしている。古い時代から動かせていない。

人々が成長することをやめ、新たなことへ挑戦することをやめ、社会のためや目の前にいる顧客のためでさえもなく、上司、上司の上司、その上司ばかりが気になる人間、上司のためだけに時間を使う人間を大量生産してしまった。サラリーマンの目的が出世であるからだ。会社の看板を取ったらなんでもない人間だということをよくわかっているからなのかも知れない。
特に出世している人ほどこういう人間だ。そして、当然、同じように出世した自分の立場に気を遣い時間を使う部下を好む。やっとの思いで手に入れた既得権益は守りたいからだ。自分のことしか考えられないこの狭い考え方は、新しい時代の壁であり足枷でしかない。

アメリカ人は、稼ぐこと、効率化できることを見つけたらすぐにそっちへ動く、チェンジ、チャレンジすることができる。きっとここで見つけた新たな価値観で新たな時代へと強くドライヴしていくだろうと思う。

日本は、わからない。
少なくとも今の組織、サラリーマンは変わることはできないだろうと思う。
目的が出世となっているサラリーマン達。残念だが、これが多くの日本の会社組織だ。
こんな緊急事態。
こんなパンデミックがあっても。
変わることができない。
どうしようもない哀愁を感じる。

https://creationphilia.com/workplace/

「サラリーマンの哀愁」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 変化する時代とバイオファブリケーション1 | creationphilia

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

上部へスクロール